第32話  夜釣りでサメが釣れた    平成26年06月30日  

 昭和五十年代中頃の晩秋(11月の中旬)だったか、部下でもあり釣友だったSと会社を終えると直ぐに秋田県の平沢漁港の南防波堤に車を飛ばした。当地の十一月中旬と云えば、寒く何時霰が降って来てもおかしくはない季節でもある。季節風である北風が吹き始めるととても寒い日が続く。通常の釣りではこの季節に夜釣りに行くなんて事は、とても常識では考えられない事でもあった。たまたまSが釣り好きの友人から、平沢漁港で大型クロダイが釣れたと云う話を聞いて来た。こんな時期にと少し眉唾ものと考えたが、せっかくの釣り好きの自分としては、せっかくのお誘いに行かない理由などない等と勝手な理屈をつけて即答でその話に乗る事にした。
 この当時の夜釣りは、滅多に撒餌をする事等はない。魚の住処や通り道と考えられる場所に釣り糸を垂れ静かにじっと当たりを待つと云うのが夜釣りの常識である。その為夜釣は日中通って勝手知ったる釣り場での釣りが一番良い事になる。その当時は、春のタナゴ釣で毎週のように金浦漁港、平沢漁港に通っていた。特に夏の夜釣りでは、当時離れになっていた金浦漁港の南突堤にゴムボートで渡って釣っていたが、平沢漁港の夜釣りは一度も経験がなかった。平沢漁港は主に北防波堤の早朝のタナゴ釣の経験しかない場所である。それにその頃、南側の突堤の先端部に角型の大型テトラ(=六脚ブロック 通常テトラと云っているが、正式には消波根固ブロックと云うめいしょう名前がある事はあまり知られていない。(株)不動テトラの会社の消波=波消ブロックの商標であるテトラポッドがあまりにも有名となり、すべてがテトラポッドと呼ばれる事となった。主なものだけで39種類もある。)が積まれ、随分釣りづらくなっていた。そんな訳で北側の防波堤には行っても、普段の釣行では全く通う事がなかった場所でもある。
 その夜は月も星もない真っ暗な暗がりでの釣りとなった。前方斜め右手から冷たい北西の風が吹いていた。釣竿はグラス製の改造中通し三間半である。生オキアミを餌にして、何時もより少し重めの板鉛を付けて思い切り遠くに飛ばした。潮の加減で仕掛けは直ぐに手元に寄せられて、どうにも釣りにならないと云う状況であった。大型テトラが不規則に並び、足元が非常に不安定である。角型の大型テトラは、大きさ故に足元が不安定で時として落ちる事がある。以前釣友達が酒田の北突堤の大型テトラから落ちて、登る事が出来ず、ずっと明け方に漁船に助けられるまで待っていたと云う出来事があった。テトラは水面すれすれの場所に牡蠣が張り付いており、抱きつくと手が切れてしまう。それに晩秋なると海苔が張り付き、滑るしで特に気をつけねばならない。そんな訳でどちらかと云うと小型のテトラの方が、足元が安定して好きだ。身体は何枚かの厚着で寒さの対策が出来るのだが、手の方は手袋をする訳にもいかず手がかじかんだままだ。一時間過ぎた。当たりが出ない。その後二時間を過ぎてもまだひと当たりも出ない。
 Sは十メートルほど離れた所に竿を下していた。声をかけて見ると、彼にも当たりが出ていないようだ。何度餌を変えて振り込んでも、その都度餌が手前に流されてしまう。重さを変えて振り込んでみる。彼も大分苦戦を強いられているようだ。釣り始めてから三時間になる頃、竿に何かが食いついた感じが出た。かと云って魚の引きを強く感じるほどの抵抗はない。それでも魚らしき感触が何とは無しに手に伝わってくる。海藻が引っ掛かったにしてはおかしい。時々魚の暴れる感じが、微妙に伝わって来たので魚以外の物ではない事は確信出来た。そのうち、魚がぼんやりと夜光虫で光った。それを手かがかりにして、何とか網を入れる。水が冷たいので魚もおとなしいのだ。
 上げて懐中電灯の明りで魚を確認する。「ゲッー!こりゃなんだ」なんと40cmあまりの細長いサメの子である。暗がりで釣ったサメの子は不気味に感じた。とてもじゃないが、手で掴む勇気が出ない。道糸を掴むと夢中で振り回して、テトラに打ち付けサメの子を仕掛けから離そうとしていた自分がいた。これが日中にでも、釣れたのであれば冷静に対処出来たかも知れない。後で考えると何でこんな事をしたのか・・・・・・・。
 これが生まれて初めてサメを釣った話である。釣りを長く続けていると、いろいろな出来事に出くわすものだ。